仁義無き戦い



1.
「――おい、イリーナ。ぬかるなよ、と」
「わかってます、先輩。これから四か月の私達の生活がかかってるんです。絶対負けられません!!」
「頼もしい限りだなっと。だがな、秘書室長はなかなか強敵なんだぞ、と」
 どうだかなー? という顔をするレノに、イリーナは不敵な笑いを浮かべる。
「万全を期すために、強力な助っ人を用意しましたから☆任せて下さい、レノ先輩!」
 ご丁寧にVサインまでしてみせるイリーナを見ていると、逆に不安になるレノだ。
「イリーナ。一つ聞きたいんだがな、と。その『強力な助っ人』ってのは誰なんだ?」
「超強力な方ですよ〜。やーですねぇ、先輩! 大丈夫ですよぉ。あれ以上偉い人、うちにはいないんですから」
「――ちょっと待て。まさか、お前」
 嫌な予感ほど当たるものだ。レノの背中を冷たい汗が流れた時、嫌と言うほど聞き覚えのある声が背後で響いた。
「ここか? その会議の部屋というのは」
「ルーファウス様! 来ていただけて、もう鬼に金棒ってカンジですぅ〜♪」
 キャアキャアとはしゃぎながらルーファウスを出迎えるイリーナとは対照的に、レノは頭を抱えて呻く。
「お前なあ、どこの世界に『自販機に入れる次期食品の選考会』に社長を呼ぶバカがいるんだぞ!? っと。第一、坊っちゃんは関係無いだろう?」
「それは違うぞ、レノ」
 周囲の人間にとってははた迷惑なやる気全開モードで、ルーファウスは指をビシッと突き付けてレノの言葉を否定する。
「私だって、夜中まで仕事してるんだぞ? お前達とはフロアが違うから、そう言われてもピンと来ないだろうがな」
「坊っちゃんはわざわざジャンクフードを食べなくても、お抱えのシェフが何でも作ってくれるんじゃないのか? と。そんなもの無い俺達とは、立場が違うと思うんだぞっと」
 暗に、物珍しさでカップ麺を食べるあんたの気が知れないね、と非難しているのである。案の定、ルーファウスは眉をピクッと上げる。
「自社製品を食べるのも、私の仕事の内だ!」
 全く、屁理屈をこねさせたらルーファウスに敵う者などいないだろう。その上、まだ自分を坊っちゃん呼ばわりするレノに対して、彼の言う事なら何でも逆らってやるというあまのじゃくな心が沸々と湧いている。
 加えて、人から頼られる事には無上の快感を覚える質である。
 というわけで、イリーナがうるうると出席を頼み込みに来た時、二つ返事でそれをOKしたルーファウスだった。
「自社製品、ねえ……」
 確かに、神羅の系列には食品会社もあるのだが。これは厄介なことになったぞと頭を抱えるレノをよそに、イリーナはすかさずルーファウスのご機嫌を取り始める。
「ルーファウス様、私、紅茶いれてきまーす!」
「ん? ああ、すまないな」
 好みの茶葉が何かは、既にツォンから聞き出している。彼の心をなごませる美味しいお菓子も、ちゃんと用意した。
 もちろん、自分とツォンの分も忘れてはいない。ついでに、いつも世話になっているルードにも買って行こうと思った瞬間、一人忘れていたことに気づくイリーナだった。こんな事、絶対に当人には言えないが……。
 ニコニコと部屋を出て行くイリーナに、レノは面白くない顔をしている。
 ルーファウスにとって、レノをからかう機会というのはあまり存在しなかったから、これは絶好のチャンスだった。すかさず、探りを入れる。
「何だかお前、私にいられちゃ迷惑みたいだな」
 まだ何もする事が無いので、ルーファウスは退屈して机に頬杖をついている。一方、レノはと言えば立ったまま所在なさげにウロウロと部屋の中を歩き回っている。自然、ルーファウスは上目遣いになる。
 そんな彼の視線は妙に艶やかで、レノは視線を合わすまいとそっぽを向く。
「何も答えなくても、その態度で十分わかるぞ、レノ」
「あーそうですか、と。ここでこんな事してられるほど、社長ってのはヒマなんですかねえ。初耳だぞっと」
「ほら、そうやって突っかかる。それがいい証拠だ」
「何のです、坊っちゃん」
「お前がイリーナのことを好きだ、っていう証拠さ。決まってるだろう?」
「じょっ、冗談じゃないぞ、と。俺にも選ぶ権利くらいあるんだぞっと! 誰があんな――」
「フウン? じゃあ、私が立候補しても問題無いわけだな?」
「悪ふざけもいい加減にしろよ、と! 大体、坊っちゃんには――」
 レノはその先を続けることができなかった。会議開始予定時刻の五分前になり、総務課と秘書課の面々がどやどやと入って来たからである。
「まあ、社長? どうしてここにいらっしゃるんですの?」
 目を丸くして驚いているのは、社長秘書室の秘書・ソフィアだ。
「どうして、って――もちろん、会議に出るためだが?」
「ご出席されるとは、ステイシー室長からは伺っておりませんが」
「ツォンが出られないと聞いてな。ピンチヒッターを頼まれたんだ」
 そう言って肩をすくめてみせるルーファウスに、総務課の女性陣から嬌声とため息とが同時に漏れた。
 なぁんだ。主任、いらっしゃらないのね。楽しみにしてたのに〜。残念! という嘆きの声と、こんな間近で社長を見られるなんて、何てラッキーなのかしら〜っ! という喜びの声と。
 そこへ、紅茶をいれてイリーナが戻ってきた。
「あら、久しぶりねえ! 元気?」
 早速、旧交を温め出すイリーナと総務課の女性達である。イリーナが持つトレイの上には、紙コップにいれられた紅茶が並んでいた。それに気づくと、テキパキと各自の席に紅茶を配り始める。いつの間にかお菓子も登場して、セッティングは完了である。
「ルーファウス様は、ちゃんとカップで。――味が違っちゃいますもんね!」
 満面の笑顔でティーカップをソーサーに載せてサーブするイリーナに、これも満面の笑顔で応えるルーファウスを見て、レノはいよいよ面白くないのだった。
(それにしても)
 出席者の揃った室内を見回して、レノは内心冷や汗をかく。
(ツォンさんが毎度出たがらないわけが、わかるような気がするんだぞっと)
 ルーファウスがいなければ、見事にハーレム状態である。相手が可愛らしい女の子達なら、結構嬉しい状態なのだが。生憎、目の前の女性達は魅力的かもしれないが、決して可愛らしくはない。しなやかで、したたかで、粘り強い交渉力にはツォンも舌を巻いていた。
「――どうやらギリギリ間にあったようね。お待たせしました、皆様」
 開始予定時刻きっかりに、社長秘書室室長ミス・ステイシーが姿を現した。彼女はすぐに室内の異変を察知する。
「ところで、社長」
 にこやかに切り出す。こういう時の彼女には気をつけなければいけないことを、ルーファウスは熟知している。
「やあ、ミス・ステイシー。何か用かな?」
 これまたにこやかに切り返す。愛想がいい時のルーファウスには気をつけなければいけないことは、ミス・ステイシーも知っている。
「いえ、用と言うほどのことでは。私の把握している社長のスケジュールには、この会議の事が抜けておりましたので」
「ああ、それは君のせいじゃない。急に決めたことだったんでね。知らせなかったのは、私の手落ちだが――許して欲しいな。次からは気をつけるから」
「わざとだなんて、そんな風に思いませんわ。社長は何しろお忙しい方ですもの」
(始まる前から、これかよ……! カンベンして欲しいんだぞっと)
 早くも逃げ腰のレノである。

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