恋の黄金律作戦1.「――はい、わかりました。すぐ伺います」 そう言って受話器を置いたツォンは、いつものように部下達に告げる。 「適当な所で切り上げて帰っていいぞ。私はこれから社長室だ」 そして仕方ないなと苦笑しつつも、どこか楽しそうな表情で部屋を出て行くのだ。 「せんぱぁい……」 世にも恨めしそうな表情で、イリーナがおどろおどろしい声を出す。 呼びかけられたレノとルードは一瞬顔を見合わせたが、すぐに諦めの表情を浮かべた。 「仕方ないだろ、イリーナ。相手が社長じゃ、断るに断れないんだぞ、と」 横ではルードがうんうん、とばかりにうなずいている。 「でも!でもぉ……今日はみんなで飲みに行こうって」 「ま、そんな日もあるんだぞ、と」 「そんな日ばかりですよ!?」 ついにキレたらしいイリーナ。だが、無理もないだろう。 このところ、彼らの上司はロクに席を温める暇もない。言うまでもなく、原因はルーファウスである。仕事で自分の護衛をさせるのはもっともなことだと思うのだが、彼の場合それだけではなかったのだ。 ツォン、ちょっといいか?に始まって、評判のレストランに行きたい、今度の芝居は面白いらしいから連れて行け、海が見たいから海岸へ行こう、オークションに誘われたけど、どんなものなのかな。冷やかしに行ってみないか?などなど――。 「はっきり言って、社長はツォンさんとデートしてるようなもんです!普通そういうことは、同性の部下とはしないでしょう!?」 「あんまりな」 「あんまりじゃなく、しませんっ!」 机をバシッ!と叩いて、イリーナは叫んだ。何しろ、総務課にいた時からの憧れの対象を男にひっさらわれているのだ。機嫌だって、悪くもなろうというものである。 しかもそれが、自分を憧れの君と同じ部署へ配属してくれた大恩人の社長その人ときている。 更に言えばルーファウスはそこら辺の女達よりよほど魅力的で、もしツォンが自分より社長を好きだったとしても、それって無理ないかも、と納得できてしまうのが悔しくもあり、悲しくもある。 「ひどいわ、ルーファウス様。あんなに何でも持ってらして、どうしてその上にツォンさんまで!? ああ!『天は二物を与えず』なんて、絶対ウソ。社長なんてインフレ気味じゃないですか〜。若さに美貌に権力に――」 「……確かにな」 しみじみとルードが呟く。彼なら、そのあとに「豊かな髪」とでも付け加えたいところか。 「イリーナ、社長と張り合ったところで、ツォンさんはゲットできないんだぞ、と。こういう時はもっと頭使えよ、と」 「レノ先輩?」 「お前、別に社長のこと嫌いなわけじゃないんだろう?」 「そりゃあ……。ツォンさんのことが無ければ、ホント、文句無いんですけどねー」 ため息をつくイリーナ。レノはそんな彼女にこう切り出す。 「ツォンさんが逆らえないのは?」 「社長ですよねー」 「だったら、社長に気に入られるようにすれば話は一番早いんだぞ、と。社長の鶴の一声には、あの人絶対だからな。逆に言うと、社長に嫌われたらまずツォンさんは諦めろよ、と。リーブさんから昔聞いたけどな、坊っちゃんの夢はツォンさんの子供を抱っこすることなんだと。それで、自分を可愛がってくれたように、今度はツォンさんの子供を自分が可愛がりたいんだとさ。それ聞いて、俺は坊っちゃんに尋ねたぞ、と。『子供ってのは母親がいないと生まれないんだぞ、と。坊っちゃんは一体どんな女ならツォンさんと結婚してもいいと思ってるんだ?』ってな。そしたら、何て答えたと思う?」 「まさか、自分よりキレイで自分よりお金持ちで、自分よりツォンさんのこと愛してる人……なんて答えじゃないですよね?」 「真顔で一言こう言ったぞ、と。『ツォンが自分自身で選んだ相手なら、私は喜んで祝福するよ。それが誰であろうとも』ってな。ありゃあ本気だな。ま、そのあと『でも、できるならお母様みたいな人ならいいんだけどな』とか笑いながら言ってたけどな」 「うっ……。そ、それは」 ルーファウスの母。もう亡くなって久しいが、いまだにリーブは彼女のことを忘れかねていて、結婚しようとはしない。 大層美しく優雅で、花が散るのにも心を痛めるような女性だったと聞く。そんな人と比べられたら、かなわない。 グッと詰まってしまったイリーナに、レノはニヤニヤ笑う。 「だから、まともにいったら玉砕覚悟なんだな、と。大丈夫!坊っちゃん、お前のこと結構気に入ってるらしいからな」 「……ホントですか、それ」 世にも疑わしい目でレノを見るイリーナ。それはそうだろう。いままでルーファウスに直に声をかけてもらったことなど、数回しかない。あるだけスゴイ、と一般社員なら思うところだろうが。 特に嫌われているわけではないが、かと言って特別好かれているとも思えない。 「お前、驚くと目がまん丸になるだろ?『転げ落ちそうだ』って、坊っちゃん笑ってたぞ、と」 「……それに、お転婆なところが小さな頃のお母さんに似てるそうだ」 「それって、褒め言葉なんですかぁ!?」 「褒めてるんじゃないか?何しろお母様が絶対の人だからな、と」 頭痛のしてきたらしいイリーナの肩を、レノはポンポンと軽く叩く。 「ま、がんばってみな、と」 三日後。イリーナは定時を告げるチャイムが鳴るとともに席を立ち、全力疾走で更衣室に向かった。 その勢いの良さに、一体何だ?と首を傾げるツォンにレノは笑ってごまかす。ああ、今日は総務課時代の友達と飲み会だって言ってましたよ、と。 嘘ではないが、事実の半分しか当たってはいない。しかし、それはツォンが知る必要のないことだ。 そうか。このところ、ずっと忙しかったからな。たまにはそんなことでもないとな。 そう言い、穏やかに微笑する上司を眺めて、部下二人は笑いを必死にこらえている。あんたと社長の情報収集だからな。そりゃ気合いも入るってもんだぞ、と。 そしてまた、お約束のように内線が鳴る。上司が出ていった後、二人は心おきなく爆笑したのだった。 「わあ、久しぶり〜!」 「あのね、秘書の方はちょっと遅れるって。だから、みんなで先に始めて、って」 総務課時代に培った人脈を総動員して、「どうすれば社長の気に入られるのか」を徹底研究しようというイリーナだ。ただし、社内でも謎の多い秘密のヴェールに包まれた部署への異動を果たしたイリーナに、集まった人々の方も興味津々だったりする。 お互いの思惑が、この場合はうまく一致しているといえた。 「ねえねえ、それでそれで!――レノさんって本命いるの?あ!まさかあんたじゃないでしょうね?」 「それはないと思うけど?だって私、先輩達にはからかわれっぱなしなんだもの。でもまあ、最近慣れてきたけどね……」 などと、まずは軽く探りが入る。イリーナは趣味悪いなぁ、やめた方がいいって!と、心の中で呟いていたりする。 レノ先輩ときたら軽佻浮薄を絵に描いたような人だし、お給料キレイさっぱり使い切っちゃってて貯金はゼロだし、仕事以外でも人の恨み買ってそうだし、遅刻魔だし、PHSに入るのは女からの連絡ばかりだし、それに、それに――! それに比べて、主任ってば何てステキなのかしら♪ ああホント、どうしてあんな……社長にばかりコキ使われなけりゃならないのかしら。過労死しちゃったら、どうしてくれるんです!? もしそんなことになったら、私、一生ルーファウス様を恨みますよ? 「ところで、聞きたいことって何?っていうか、私達でわかるようなことなのかしら?」 「うん。あのね、教えて欲しいの。実は――」 と、レノとの会話のいきさつを話す。取りあえずは、好きな食べ物、飲み物、趣味、そんなことから知りたいのだと。 「社長の方は後から来る秘書のソフィアさんに聞くとして。まずはツォンさんね」 「社食でウータイ風定食を食べてるのを、以前見かけたことがあるわ」 「かめ道楽であの面々が飲んでるのを見たこともあったわね、そういや。もしかして、ウータイ風の味付けが好きなんじゃない?」 「パルマー部長のこと、さも嫌そうに見てたけど。――例の、ほら。お茶にラードと蜂蜜」 「あれは誰だって見たくない気がするけど。ツォンさんって、うちの部長と仲良しじゃない?昨日部長からいろいろ仕入れたんだけど、基本的には好き嫌いないみたいよ。さっぱりした物が好きだから、自然ウータイ料理が口に合うんでしょうけど。要は胃に負担のかからない物が好きなんじゃない?」 都市開発部長のリーブとツォンとは、社内でも知らぬ者はない親友同士だ。何かと気苦労の多そうなこの二人、口の悪い人間は「胃薬同盟」などと陰で呼んでいる。 確かに、二人とも長年我が儘なプレジデントに、彼の死後はその息子に仕えてきて、太るヒマなどない位忙しいが……。 「ウータイ風ねぇ。何かものすごーくよくわかる気が」 運ばれてきたピザに手を伸ばしつつ、イリーナがうんうん、とうなずく。 ルーファウスのお陰でお流れになった飲み会は、懐石風の料理を出すお洒落な店に行くはずだったのだ。ツォンは自腹を切って奢るつもりだったらしいとルードから聞いて、二度ルーファウスを恨めしく思ったイリーナである。 「食べ物の好みって、比較的わかるのよねぇ。でも、彼の私服姿――想像できないわ」 これには、その場にいる者が一斉にうなずく。スーツ姿じゃないツォン? ルーファウスがジャージを着ている方が、まだしも頭に思い描けるというものだ。……かなり無理をすれば、だが。 「あとは……趣味ねえ。私、社長の警護が趣味なのかと思ってたわ」 とんでもないことを言い出す友人を、イリーナは思わず睨み付ける。 「や、やーねぇ。冗談だってば」 「全然シャレになってないわよっ!毎日毎日……あれは仕事の範疇を超えてるわ。どうしよう。もし二人がそんな関係だったら」 禁断のオフィスラブ?美人で気の強い年下の上司と、そのワガママぶりを優しく見守る包容力のある年上の部下? ――似合い過ぎ。社長が小さな頃からずっと側にいるんだから、ご主人様と執事ってパターンでもあるのよね。 ああっ、私のバカ!そこで納得してどうするのよっ!? でもでも!ルーファウス様と私じゃ、はなっから勝負にならないのも事実なのよね……。 「だ、大丈夫よぉ。そんな間柄じゃないって!――多分」 「多分?」 どんよりとした声で聞き返すイリーナに、友人達はしまった、という顔をする。 その、キッパリと否定しきれないところが正に問題なのであって――二人が一緒にいる時に醸し出される独特の雰囲気は、周囲の者にとってはバリアのように感じられる。恐らく、当の本人達は全く気づいていないのだろうが。 「そう言えば、ツォンさんの浮いた噂って聞いたことないよねー。好きな人、いままでにいなかったのかなぁ?」 話の方向性を無理矢理変えようとした発言は、物の見事に空回りしてしまった。 「ルーファウス様のお母様に、憧れてたって聞いたわ。本人から。社長、お母様似なんですってね」 やっぱり、そうなのよ。あの二人――。 いよいよ沈んでいくイリーナ。周囲が凍り付く中、ペンネアラビアータをわしわしと自分の取り皿に運んでいる。 状況証拠でいえば、確かに怪しいのだが。しかし、コスタ・デル・ソルでは遊び人で通っていた過去を考えると、ルーファウスが特殊な趣味の持ち主だとは考えにくい。 ストレスは食べて発散、ということなのか。黙々とパスタを食べるイリーナ。続く沈黙に、一同が居心地の悪さを感じ始めた時。 遅れてごめんなさい。まあ、みんなしてどうしたの?ここはお通夜の会場かしら。そう言って、秘書のソフィアが現れた。 制服に着替えない彼女は他の面々とは違い、鮮やかで美しい色のスーツを着ている。靴もオーソドックスなパンプスだ。 「まあ、イリーナ。どうしたの?涙ぐんでるわよ、あなた」 その場の空気を察し、すかさず切り換えを図る。 「別に。アラビアータの唐辛子を間違って食べちゃっただけ」 「そう?なら、これでも頼みましょうか」 メニューにチラリと目を通し、ワタリガニのフェットチーネ・クリーム仕立てを注文する。 「いまの時期、ワタリガニが美味しいのよねぇ。――あ、ありがとう」 注がれたワインを美味しそうに一口飲み、もうツォンさんの話は一段落着いたのかしら。今度は私の番ね、と言う。 それに対し、趣味ってなかなかわからないものよね。いま、ツォンさんが好きそうな物の話が出ていたんだけど。 と、イリーナ以外のメンバーが口々に言い、難しいわぁとため息をつく。 「なるほどねぇ。でも、社長もご自分の個人的な趣味嗜好は、なるべく外に出さないようにしている方だから……。間違いないのは、紅茶が大好きなことかしら。あ、お菓子もね。フフフッ。甘い物に目がないのよ、ルーファウス様って」 「そうなのぉ〜!?」 ソフィア以外、全員が驚きの声を上げる。 「……初耳」 ボソッと呟くイリーナに、ソフィアはにっこり笑って言う。 「いまはお忙しいから調査課にもそうそう顔を出せないでしょうけど、副社長時代はしょっちゅう部屋を抜け出して遊びに行かれてたのよ。ツォンさんに紅茶をいれてもらうのをお目当てにね」 「何それ!?」 「あらあら。あなたが知らないとはね。でもまあ、最近はあの方も忙しいし」 「お菓子って……ルーファウス様がケーキをパクついてるの、想像できないんだけど」 「あまり甘みがしつこいのはお嫌いよ。クッキーやパイは大好きだわねえ。実はスフレなんて大好物みたいなんだけど。あればかりは、焼き上がった所を食べないとしぼんじゃうでしょ?社長に就任なさったばかりの頃、ブツブツ言ってらしたわよ。『これでまた、楽しみが一つ減った』ってね。お笑いよねぇ。『私は世界を恐怖で支配する』なんて演説ぶった神羅カンパニーの社長が、嬉しそうにスフレを食べてたら。もう威厳も何もあったもんじゃないわ」 「……見た目と中身、ギャップ激しくない?」 「最初、みんな驚くのよね。でも、社長っていい方よ。可愛いじゃない?アイスクリームとジェラートでご機嫌になるなんて」 今度こそ脱力するイリーナだ。それじゃまるでお子様よ〜っ!と呻くと、ソフィアが真顔で首を縦に振る。 「そうなのよ。社長って、妙にアンバランスな所のある方でね。何しろ『笑い方が気に入らない!』ってハイデッカー統括を首にしようと真剣に思うような方だから。そのくせ、書類に盲サインされることは絶対ないのよね。社長決裁までの間に誰も気づかなかった端数処理のミス、見つけた時は困っていらしたわよ。このまま通すわけにもいかないし、かと言ってここで突き返したら、嫌みに思うんじゃないかって。計算間違いなんて、社長がチェックするべき項目じゃないよなあってぼやいてらしたもの。すぐに皮肉を言う冷たい合理主義者。能力至上主義のワンマン経営者。その通りなんだけれど、それが全てというわけではないの。社長に全権があるのは、ルーファウス様が作ったシステムのせいではないでしょう?父君のプレジデントに、あの方がどれほど反発していたか。私達お側にいる者なら、みんな知っていることよ。あの方はねぇ、動物に例えるなら猫だわねえ。『コイツはしっぽを掴んで引っ張ったりしないかな?ちゃんと毛並みにそって撫でてくれるかな?』って、安全な高みから相手をじーっと観察している期間が長いのよ。取りあえず接触してみよう、ってタイプじゃないのは確かね。で、安心すると少しづつ距離を縮めてきて、いつの間にか膝の上で寝てる……そんな感じね。放っておけないでしょ。つい喉を撫でたくなるわよ?『いい子ね』って。ツォンさんも、きっと同じ心境なんでしょうねえ」 「ツォンさんも、って――あなたもそうなのね?」 「バレた?」 フェットチーネをめいめいの小皿に取り分けながら、ソフィアはくすくすっと笑う。 「あなたのこと、ああ見えて結構気に入ってるのよ。さもなきゃタークスになんて配属しないわ」 さあさあ。熱いうちに食べましょう。ほら、イリーナ。これは辛くないから。 そんな具合になだめられ、注がれるワインでほろ酔い加減になりながらも、いま一つ釈然としないイリーナだった。 |